大法寺の歴史

 大法寺の歴史

永禄12年(1569)日蓮聖人の直檀、池上宗仲公の末裔の上穂城西池上氏が開基檀越となり、叡尊律師日躰上人を開基・開山として眞淨山大法寺を開創しました。元禄に至って第2世日定上人が中興開山し、現存の日蓮聖人像(日蓮宗々宝指定、元禄5年(1692)造立)を奉安しました。
享保7年(1722)第3世日栄上人は七面堂(法華の守護神七面天女)を建立、市内を貫通する七面川の由来となりました。延享3年(1746)日真上人は本堂建立、寛延4年(1751)釈迦、多宝如来像奉安、天保・嘉永年間第11世日長上人は寺子屋教育に尽力しました。昭和39年(1964)第14世日脩上人は堂宇老朽のため本堂、庫裏の新築を果たしました。昭和55年(1980)宗祖日蓮上人の七百遠忌を記念して檀徒会館を増築しました。
伊南地区唯一の法華寺院で祈願寺として尊崇を受け節分厄除け行事は有名です。
境内は上穂城址の一角で、七面堂・最上稲荷社があります。
寺宝は日蓮聖人像の他、釈尊涅槃図(日蓮宗々宝指定・姉崎永喜筆 享保3年(1718))等があります。

 七面堂

七面堂

法華の守護神「七面大明神 (七面天女)」をお祀りしています。
本社は日蓮宗総本山身延山久遠寺の南西、七面山(1982m)の山頂にあり、身延山久遠寺の裏鬼門を守る山門守護神として古来より信仰され、七面山の分け御魂として、「大法寺の七面さま」と呼ばれ親しまれ法華信奉者を守護しています。
七面山の本社まで参詣できない方が多く訪れています。
七面大明神はその昔、日蓮聖人が説法中に龍の姿を現し「 私は七面山に住む七面天女です。身延山の裏鬼門をおさえて、身延山を守護する法華経の護法神として姿を現しました。法華経を受持する者が、至心に私に祈るならば心の安らぎをあたえましょう 」といい七面山の方へ空高く舞い上がり姿を消しました。
爾来「 我、大乗の教を開いて苦の衆生を度脱せん 」とお釈迦様の教えの宝蔵を開く鍵を持ち、我々を守り導いてくださっています。
4月には守護神大祭が行われています。

 最上稲荷社

最上位経王稲荷大菩薩をお祀りしています。
最上稲荷は伏見・豊川と並ぶ日本三大稲荷で、本社は岡山市高松の最上稲荷山妙教寺です。
その歴史は古く今より1200余年前、報恩大師が孝謙天皇の病気平癒の勅命を受け、法華経観世音菩薩普門品を唱え祈願を行い、21日目の早朝、瑞雲たなびく中に白狐に乗ったお姿で応現されたのが最上位経王稲荷大菩薩です。報恩大師は自ら刀をとり御尊影を刻み、霊域に安置して祭祀供養されたところ、天皇の病は快癒されました。
その後、桓武天皇も自らの病気平癒を祈願した報恩大師に報いる為に堂宇伽藍の建立を発願なされました。
最上位経王稲荷大菩薩の神通力を鑚仰し、その威大神力を体現すべく、祈祷秘事の体得を願う苦修練行の場が開設されており、当山副住職は平成12年に最上稲荷山の大荒行堂を成満(完遂)しました。
こうした御威徳を仰ぎ、更なる加護を祈念し信心堅固の為に、大法寺を守護する分け御魂として最上位経王稲荷大菩薩をお祀りし、4月に守護神大祭が行われています。