住職 副住職
大法寺の住職・副住職紹介
住職 藤塚義誠 【 本行院日誠 】
1943年(昭和18年)当寺に生まれ、地元中学卒業後、日蓮宗総本山身延山久遠寺にて僧道修行。この間に身延山短期大学卒業、翌年住職に就任し52年となる。
日蓮宗長野県宗務所事務長、日蓮宗長野県布教師会会長、同社会教化事業協会会長、同協議員、上伊那仏教会会長を歴任。
公職は、長野県家庭裁判所伊那支部調停委員25年、駒ヶ根警察署青少年指導委員・少年友の会会員30年、保護司36年の活動により平成29年春の叙勲・瑞宝双光章を拝受。
講演活動は壱千回を越えている。
現在は、日蓮宗ビハーラネットワーク世話人、伊那谷生と死を考える会代表。
趣味は、短詩型文芸(短歌、俳句、川柳)
副住職 藤塚智徳 【 本誓院日徳 】
昭和51年に大法寺の長男として出生。
中学卒業後に出家し、日蓮宗総本山身延山久遠寺の僧堂修行に入り、身延山高校・身延山大学を卒業。
卒業後よりあしかけ18年間、東京・横浜の日蓮宗寺院で寺リーマンとして勤め駒ヶ根へ帰郷。
平成12年度 岡山県 最上稲荷山荒行堂初行成満
平成14年度 日蓮宗 祈祷根本道場 遠寿院大荒行堂 壱百日第初行成満
平成16年度 祈祷根本道場 遠寿院大荒行堂 壱百日第再行成満
平成29年度 祈祷根本道場 遠寿院大荒行堂 壱百日第参行成満
成満(じょうまん)とは、修行を完遂すること。
遠壽院大荒行堂について
根本御祈祷系授的傳加行所 正中山 遠壽院大荒行堂
正中山遠壽院は「根本御祈祷系授的傳加行所」と称され、また「荒行堂」とも通称されるように正中山修法の相伝を使命とする加行道場をして、約400年の伝統と歴史を有する日本仏教界でも特異な寺院である。
日蓮聖人直授伝来、正中山正嫡の大秘法を相伝した三代日日久上人によって集大成された修法伝書を代々の住職が口訣相承する任を負ってきた。これによって当院は、遠壽院流祈祷修法の相伝所としても広く世間に知れ渡っている。寒中百日間の大荒行は天正19年(1591年)より伝承されており歴史と伝統を引継いでいる。
撰法華経をはじめとする相伝書の量は膨大で原本の巻軸27巻に及ぶ。大荒行として有名な 11月1日から翌2月10日 までの寒百日間にわたる行は 400年来の伝法法式に則して行われる遠壽院流祈祷修法の相伝加行である。
荒行は筑波おろしの吹きすさぶ厳冬のさなか、午前3時の初水から夜11時の最後の水に至るまでの水行肝文を高唱して行う七回の水行をはじめ、すする白粥にまとう単衣の衣に至るすべてにわたり酷烈を極める。
就寝は午前00時 起床は午前2時半
水行は3時、6時、9時、12時、15時、18時、23時と一日7回行われる。
食事は朝5時半と夕方5時半の2回のみ。
これ以外は全ての時間を膨大な量の法華経を1日何百巻も正座で読経し、撰法華経を写経し、相伝書の書写行をも行う。
この大荒行が行われる行堂内の読経堂には、壇上高く荒行願満鬼形鬼子母尊神が安置されている。この本尊は、元禄年間に京都の仏師「如水」によって丹精を込められた一刀三礼(一彫り毎に三礼)の謹作で、文字どおり鬼形の相をした六尺余りの威容をもつ像である。秘法の本尊として一般には一切秘蔵となっている。
百日間にわたる荒行は、第一段の自行の行法、第二段の儀軌相承、第三段の木剱相承、第四段の口伝相承、と四段に分けられている。第一段の自行の行法は、さらに秘妙五段に約され、一段を七日として三十五日間、もっぱら滅罪の祈りを捧げる。この間の面会は一切許されない。ひたすらに罪の意識を悔いて捧げるこの祈りが、すべてを信力で貫かんとする行僧の人格を築き上げる根本要素である。第三段の木剱相承(木剣は祈祷の際に使用する剣の板に特殊な数珠を打ち鳴らす仏具)は年明けとともに始まる。剱は無明を切る大利剱であり、木剱に対する信念を不動のものとするため、行僧は全魂を打ち込んでこれを体得する。代々師資相承の秘法は、先聖先哲の苦修練行によって更に巧緻を加え、その顕力は一般民衆をはじめ、天皇家や徳川家にまで広く尊び仰ぎ慕われてきた。遠壽院は、祈祷の根本道場として代々当院住職が修法伝師として相承の任を負い、現在は日蓮聖人直授伝来、唯一無二の祈祷相伝書を格護している加行道場である。(遠壽院ホームページより)