正中山遠壽院大荒行堂

根本御祈祷系授的傳加行所正中山遠壽院大荒行堂

(こんぽんごきとうけいじゅてきでんかぎょうしょしょうちゅうざんおんじゅいんだいあらぎょうどう)

正中山遠壽院(しょうちゅうざんおんじゅいん)は「根本御祈祷系授的傳加行所(こんぽんごきとうけいじゅてきでんかぎょうしょ)」と称され、また「荒行堂(あらぎょうどう)」とも通称されるように正中山(しょうちゅうざん)修法(しゅほう)の相伝(そうでん)を使命とする加行(かぎょう)道場(どうじょう)をして、約400年の伝統と歴史を有する日本仏教界でも特異な寺院である。

日蓮聖人(にちれんしょうにん)直授伝来(じきじゅでんらい)、正中山(しょうちゅうざん)正嫡(せいちゃく)の大秘法(だいひほう)を相伝(そうでん)した三代日久上人(にちきゅうしょうにん)によって集大成された修法(しゅほう)伝書(でんしょ)を代々の住職が口訣(くけつ)相承(そうじょう)する任を負ってきた。これによって当院は、遠壽院流(おんじゅいんりゅう)祈祷(きとう)修法(しゅほう)の相伝所(そうでんしょ)としても広く世間に知れ渡っている。寒中百日間の大荒行(だいあらぎょう)は天正19年(1591年)より伝承されており歴史と伝統を引継いでいる。
撰法華経(せんほけきょう)をはじめとする相伝(そうでん)書の量は膨大で原本の巻軸27巻に及ぶ。大荒行(だいあらぎょう)として有名な 11月1日から翌2月10日 までの寒百日間にわたる行は 400年来の伝法法式に則して行われる遠壽院流(おんじゅいんりゅう)祈祷(きとう)修法(しゅほう)の相伝(そうでん)加行(かぎょう)である。
荒行は筑波おろしの吹きすさぶ厳冬のさなか、午前3時の初水から夜11時の最後の水に至るまでの水行(すいぎょう)肝文を高唱して行う七回の水行(すいぎょう)をはじめ、すする白粥にまとう単衣の衣に至るすべてにわたり酷烈を極める。

就寝は午前00時  起床は午前2時半
水行は3時、6時、9時、12時、15時、18時、23時と一日7回行われる。
食事は朝5時半と夕方5時半の2回のみ。
これ以外は全ての時間を膨大な量の法華経を1日何百巻も正座で読経し、撰法華経を写経し、相伝(そうでん)書の書写行をも行う。

この大荒行(だいあらぎょう)が行われる行堂内(ぎょうどうない)の読経堂(どっきょうどう)には、壇上高く荒行願満(あらぎょうがんまん)鬼形鬼子母尊神(きぎょうきしもそんじん)が安置されている。この本尊は、元禄年間に京都の仏師「如水(にょすい)」によって丹精を込められた一刀三礼(いっとうさんらい)(一彫り毎に三礼)の謹作で、文字どおり鬼形(きぎょう)の相をした六尺余りの威容をもつ像である。秘法の本尊として一般には一切秘蔵となっている。
百日間にわたる荒行は、第一段の自行(じぎょう)の行法(ぎょうほう)、第二段の儀軌(ぎき)相承(そうじょう)、第三段の木剱(ぼっけん)相承(そうじょう)、第四段の口伝(くでん)相承(そうじょう)、と四段に分けられている。第一段の自行(じぎょう)の行法(ぎょうほう)は、さらに秘妙五段(ひみょうごだん)に約され、一段を七日として三十五日間、もっぱら滅罪の祈りを捧げる。この間の面会は一切許されない。ひたすらに罪の意識を悔いて捧げるこの祈りが、すべてを信力で貫かんとする行僧の人格を築き上げる根本要素である。第三段の木剱(ぼっけん)相承(そうじょう)(木剣(ぼっけん)は祈祷(きとう)の際に使用する剣の板に特殊な数珠を打ち鳴らす仏具)は年明けとともに始まる。剱は無明(むみょう)を切る大利剱(だいりけん)であり、木剱(ぼっけん)に対する信念を不動のものとするため、行僧は全魂を打ち込んでこれを体得する。代々師資(だいだいしし)相承(そうじょう)の秘法は、先聖先哲(せんしょうせんてつ)の苦修練行(くしゅうれんぎょう)によって更に巧緻(こうち)を加え、その顕力(けんりき)は一般民衆をはじめ、天皇家や徳川家にまで広く尊び仰ぎ慕われてきた。遠壽院(おんじゅいん)は、祈祷(きとう)の根本道場(どうじょう)として代々当院住職が修法(しゅほう)伝師(でんし)として口訣(くけつ)相承(そうじょう)の任を負い、現在は日蓮聖人(にちれんしょうにん)直授伝来(じきじゅでんらい)、唯一無二の祈祷(きとう)相伝書(そうでんしょ)を格護している加行(かぎょう)道場(どうじょう)である。(遠壽院ホームページより)